第20回チョコ募金、いよいよ開始!今年もよろしくお願いします。
JIM-NETは、イラクのアルビル、バスラ、バグダートでの小児がん患者支援、シリア難民やイラク国内避難民への緊急医療支援などに取り組み、中東の平和に貢献しながら国内では福島の子どもたちへの支援とともに約20年間活動をしてきました。
先日(2024年秋)、『私は憎まない』というドキュメンタリー映画上映がJICA地球ひろば・国際会議場で行われ、ぼくとイゼルディン・アブラエーシュ博士とのトークイベントにて博士と10年ぶりの再会を果たすことができました。彼はイスラエルの空爆を受けて、3人の娘を殺されました。イスラエルに娘の死の責任を追及するも、復讐心や憎しみを持たず、彼の和解と許しの精神は、世界中の人々に感動を与えています。彼はこう言いました「もし私の娘がパレスチナ人とイスラエル人の平和への道のりの最後の犠牲であるならば、私は娘の死を受け入れるだろう」。
ぼくは、2011年に『アハマドくんのいのちのリレー』(集英社)という本を書きました。10年前の本ですが、最近たくさんの方に読み始められています。ヨルダン川西岸パレスチナ自治区では、自治が守られているはずなのに、イスラエル兵やイスラエルの警察官が銃を持って街角に立っている。そして理由もなく、時々パレスチナ人が銃撃されることがある。12歳のパレスチナの少年が撃たれ、脳死状態になりました。イスラエルのドクターから「息子さんをもう助けることはできないが、息子さんの心臓は、病気の子どもを助けることができる。心臓をいただけないか?」と言われ、撃たれた少年の父親は承諾をする。ぼくが父親だったらと考えました。絶対に自分の息子の心臓を敵にあげたくない。このお父さんは、どうして承諾できたんだろう?と不思議に思っていました。
その頃、スイスでの講演に招かれ、講演の後パーティーで、ぼくはこの疑問を投げかけました。いつか平和がやってきたら、ぼくはパレスチナ自治区とガザに行きたい。このお父さんを訪ねたいと言ったら、スイスの国連関係機関で働く人たちが「まだまだ平和はやってこない。むしろ鎌田先生がパレスチナに行ったほうがいい。何かが変わるかもしれない。」と、心臓の移植を受けた女の子の家を探してくれました。
少年のお父さんを連れて、ぼくはパレスチナ自治区からイスラエルへの旅をしました。
イスラエル兵に銃で脅かされながらのとても怖い旅でした。女の子の家の玄関に入ると、女の子が一番に駆け寄ってきました。少年のお父さんはその女の子を抱きしめました。『嬉しい!まるで息子が生きているみたいだ』。そうなのです、12歳の女の子の身体の中で、息子の心臓が動いていたのです。パレスチナの少年の心臓が、イスラエルの病気の女の子を救い、立ち上がることも、歩くことも、学校に行くこともできなかった女の子が、学校に行けるようになったのです。
「ぼくが親父だったら、息子の心臓はあげられないけれど、よくあげられましたね」と少年のお父さんに聞くと、「海で溺れている人間がいたら、泳げる人間は海に飛び込む。
その時にあなたの宗教は何?国はどこか?とは聞かない。困っている人がいた時に、宗教が同じだったり、国が同じだったら助けるというのではい。自分は人間として当たり前のことをしただけです」と答えました。
2016年にトランプがアメリカの大統領になった時から、アメリカ大使館をエルサレムに移したり、圧倒的にイスラエル贔屓になり、パレスチナとイスラエルのバランスは崩れました。今大切なのは、お互いの大変さを知ることです。第二次世界大戦の時、ユダヤ人はとても大変だったよね。ユダヤ人が行くところがなかった時に、パレスチナにイスラエルを建国するようになり、そのために土地や家を追い出されたパレスチナ人に申し訳なかった。パレスチナの人たちも大変だったよね。お互いの大変さを分かり合うところからしか平和はやってこないのではないかと思っています。
チョコ募金は今年も13万個。小さなNPOにとってはとても大変な数字です。北海道の六花亭の安全で美味しいチョコレート。缶はイラクやシリアの白血病で治療中の子どもたちの絵が使われています。中東に平和が来るように活動していくためには、チョコ募金が活動資金になります。是非、たくさんの人にお声を掛けていただけると有難いです。みなさんの応援をどうぞよろしくお願いいたします。