JIM-NETの歩み

歴史

2004年

6月:バスラからジナーン医師が来日し、イラクの小児がんの窮状を訴えるため信州大学で講演。日本では、広島・長崎の関係で、がんや白血病に関する関心が高く、いくつかのNGOが既にイラクへ薬の支援などを行っていた。
 イラク支援を行っていた日本国際ボランティアセンター(JVC)より、長くチェルノブイリ支援を行い、放射能被ばくと小児がんに詳しい鎌田に協力を打診。鎌田を代表としてJIM-NET設立が決まる。

8月:イラクの隣国ヨルダンの首都アンマンで、イラクと日本の医師や関係者が集まり第一回JIM-NET会議を開催。支援の効率を上げ、援助の重複を避け、医療の専門性を求め、役割分担を明確にした調整を行うため、NGOや企業、クリニックが7団体集まりJIM-NETが結成される。

【参加団体】
カタログハウス基金、スマイル子どもクリニック、子どもの平和と生存のための童話館基金、
アラブの子どもとなかよくする会、劣化ウラン廃絶キャンペーン(CADU)、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)、日本国際ボランティアセンター(JVC) 

9月:日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)の松本市浅間温泉の事務所を間借りし、スタート。

10月:「JIM-NET」として初めて医療機材をバグダードへ送り出す。

2005年

医師で理事の井下俊がアンマン駐在スタート。
アンマンにはキングフセインがんセンターという病院で、イラクの小児がんの子どもたちが治療を受けており、アンマン事務所もがんセンターの近くに開設。
当初は、日本から薬を持って行ったり、アンマンの薬局で買ったものを運送会社で輸送してイラクへ送った。

2006年

『限りなき義理の愛作戦』と称し、チョコ募金が始まる。
  ※イラクではシーア派の聖地とされる聖廟が爆破されるという事件が発生。
   これに対する抗議デモが行われたが、スンニ派への報復に発展し、
   各地でスンニ派モスクが破壊されたり、街中での爆破事件等が起こった。ここから内戦が激化していく。

2007年 参加団体のスマイルこどもクリニックがイラク・ヨルダン国境のノーマンズランドの難民キャンプに医療団を派遣。
世界を旅していた元日本代表サッカー選手の中田英寿氏が医師団を訪問してくださった。
2008年 バスラ緊急支援。
JCFより独立し、高田馬場に事務所を構える。
6月:サダコ虹基金の大倉記代さんが死去。
2009年 6月:バスラでカンファレンス 5年ぶりにイラク入り。
10月:チョコ募金が缶になったきっかけの少女サブリーンが死去。享年15歳。お別れ会が盛大に行われる。高橋悠治さん、湯川れい子さんらが参列、坂本龍一さん、東ちづるさんらからメッセージをいただく。
11月:JIM-NET設立から5年経ち、ようやくイラク・アルビルに事務所を開設。
2010年 アルビルへ井下医師、川添看護師、加藤駐在員が派遣される。イラクで初めてJIM-NET会議開催。
2011年 1月:脱原発世界会議。
1月:NPO法人格を取得。
4月:シリア難民支援開始。
2012年 1月、2月:クウェート湾岸戦争20年で劣化ウラン弾の被害調査報告。
3月:東日本大震災 石巻支援開始。
7月:福島支援開始。
10月:イブラヒム来日。
2013年 イラク支援を行うNGOなどが集まり、イラク戦争10年イベントを開催。
7月イラクから音楽を学ぶ姉妹スハッド、ハディールの来日。
2014年 アンバール国内避難民支援。
外務省より日本NGO連携無償資金協力を受け、シリア難民支援実施。
設立10周年記念イベントを開催し、イラクから戦争で負傷したムスタファを招聘。

2015年
  • イスラム国から解放された避難民女性計 29 人の医療支援を実施(内 24 人が性的な暴力を受けた女性)。健診費・診療や治療のための薬代を支援。
  • イスラム国に迫害を受け、シンジャール山に避難している避難民が基礎医療を受けられるよう、モバイルクリニックを 3 カ月間実施。
  • 外務省の日本 NGO 連携無償資金協力(N連)より助成を受けシリア難民支援を継続。
  • イラク南部のバスラより、ローカルスタッフと白血病を克服した少女ハウラが来日。
2016年
  • 患者家族の宿泊や相談にのるための「JIM-NETハウス」をモーテルの部屋を借りてスタート
  • 専門家をイラクに派遣し、感染症対策の講義を実施。
  • イスラム国との戦いにより被害を多く受けた場所へ、モバイルクリニックの実施・医薬品の提供・火災により損傷した薬剤倉庫の復旧作業の支援などを行う。
  • 2015年度に作成したブックレットのアラビア語版を普及するため、ヨルダンでワークショップを2回実施。
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