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シリア地震被災者支援:リームの渡航レポート

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シリア地震被災者支援
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この度、イラク事務所スタッフのリームがシリア国内の地震被災地の現地を
視察して参りましたのでご報告いたします。

2月6日未明、トルコとシリア国境付近を震源地として発生したマグニチュード7.8の地震は、両国で56,000人以上が犠牲になりました。
JIM-NETでは、これまでパートナー団体としてシリア国内支援を共に行ってきたクルド赤新月社を通じて、シリアの被災地での状況と支援のニーズ調査に努めてまいりました。

地震以前より行ってきた支援でも、リームは度々シリア国内に入りましたが、
今回の調査で、初めてラッカ市よりも西側に入りました。
リームにとっても初めて訪問する地域ということもあり、緊張や不安も入り混じる中での出発となりました。

訪問場所
ハサカ ~ カミシリ ~ ラッカ ~ アインイッサ ~ コバニ ~ マンビジュ ~ シャイフ・マクスード ~ サルダルキャンプ ~ バルハダーンキャンプ ~ シャハバ病院 ~ タッルリファト ~

今回訪問した地域について

 

今回訪問した支援先となるシャハバ地域は、アレッポ北部及び北東部の約5,000㎢に及ぶ広範囲の地域で、5つの主要都市と600ほどの村からなり、アラブ人やクルド人、チェルケス人、ヤジディなどの人々が暮らしています。

今回の地震被災者支援を始める際、1回目の支援開始までに少し間が空きました。
それはシリア側の地震被害が出ている地域が、シリア紛争が始まって以来、常に恐怖と危険に晒された地域であり、
「実際どの被災地域ならばパートナー団体と入域することでき、目視で現状を把握できるか。また、確実に支援を届けることが出来るのか」という確認に時間がかかったためです。

この地域では、2013年から2015年にかけてヌスラ戦線及びイスラム過激派組織IS(イスラム国)の支配による民間人への拷問や殺害、村の破壊が起こり、2016年にはトルコ軍の侵攻、2019年にも更なるトルコ軍からの侵攻など今なお情勢は不安定です。
シリア北部や北東部はシリア政府、トルコ軍、クルド勢力、ロシア軍など様々な勢力が入り乱れ、今回の訪問中、リームがどこから来てどのような身分であるか、ということも伏せる必要があった場所も多数ありました。
それくらい緊張感がある地域です。


地図提供:東京外国語大学・青山弘之教授
ピンク色:シリア政府地域
黄色:北・東シリア自治局・シリア民主軍(クルド人勢力)地域
紫:トルコ占領地域
緑:反体制派地域

今回の訪問にあたっては、クルド赤新月社の全面的なバックアップと万全のセキュリティー体制のもと
「特に支援が入りにくい地域」を訪問し、現地の状況把握のために全6日間の日程で行われました。

地震の被災状況の報告と共に、この地域が置かれる状況も知って頂ければと思います。

建物と設備だけが残ったコバニヘルスセンター
~ラッカからコバニへ~

早朝カミシリを出発し、約260km離れたラッカに到着したのは昼前後でした。
通常なら3時間半程度で到着するのですが、各所にあるチェックポイントを通過するのに時間がかかり6時間の道のりでした。
イスラム過激派組織IS(イスラム国)が2014年にカリフ制の樹立を宣言すると、ラッカをイスラム国の首都とし、市民を厳しく抑圧してきました。2016年にクルド人部隊で構成されるシリア民主軍(SDF)により大規模な開放作戦が開始され、翌年10月にラッカを奪還しました。現在も市街地や郊外には、まだ当時の建物の傷跡が多く見られます。
訪れたラッカ市内の病院も、生々しい戦いの痕が残っていましたが、建物の一部では今も病院としての機能を果たしていました。

ラッカから北上する途中、アインイッサという町を通過しました。
M4という高速道路が東西に走っており、トルコからの攻撃が頻発するエリアです。
車中にいる皆に緊張が走り、ややスピードを上げて素早く通り過ぎました。

トルコとの国境に位置するコバニでは、クルド赤新月社が管理する保健ヘルスセンターを訪問しました。
ここには3台の稼働する救急車があり、このセンターでは唯一残る保健医療サービスです。
センターの建物内には内科、小児科、産婦人科、分娩室はあるものの、予算不足のため、医薬品の購入やスタッフの人件費がなく、1年以上センターは閉鎖されていました。
誰もいない建物の中に入ると、明日にでも再開できるのはないかと思うくらいの最低限の設備は揃っていました。
コバニで唯一の公共保健医療サービスが止まっていることで、この地域に住む人々は医療にかかることさえできていない状況です。
壊滅的な経済状況の中で、民間のクリニックで医療を受けることができる人は殆どいません。

コバニの町も地震が起こった朝、揺れを感じたと人々は口を揃えました。
ただ、住人やクルド赤新月社のスタッフに聞いたところ、地震による倒壊や破損は一部あったものの、瓦礫の山の殆どはイスラム国の戦闘や掃討作戦の空爆によるものだと言います。

数多の検問所を通過して
~コバニ~マンベジュ、そしてアレッポ市内へ~

コバニを後にして、向かった先はマンベジュです。
サッリーンという町を通過し、ユーフラテス川に架かる橋を渡り、マンベジュに到着し、
クルド赤新月社の関連施設に立ち寄り、アレッポ市内のシャイフ・マクスード地区へと向かいました。

M4高速道路を使うことができず、本来ならば1時間強でつくはずのところですが、
遠回りをして2時間ほどかかりシャイフ・マクスードに到着しました。
ここに到着するまでには多くのチェックポイントを通過する必要があり、クルド人勢力側とシリア政府側、合わせて24か所ほどのチェックポイントを通過しました。クルド人勢力地域のナンバーの車に乗っていましたが、シリア府側のチェックポイントでは特に何か質問されるということはありませんでした。

全てのチェックポイントで「敢えて何も聞かれない、お互い何も言わない」という独特な空気の中で通過したわけですが、この地域の複雑性を感じる一コマであり、説明がとても難しい事象でもあります。シャイフ・マクスードは短時間の滞在となってしまいましたが、あまりの人の多さにとても驚きました。
地震発生以前より、戦争によって大きく損壊した家が並ぶ中、追い打ちをかけるように地震で建物が倒壊し、壊滅的な光景が広がっていました。壊れた空き家の住む人も多く、行き場がなく逃げ惑う様子の人々の姿も見られました。

※写真を撮ることができる雰囲気ではなかったため、写真がありません。

絆創膏さえもない難民キャンプ 
~2つの難民キャンプとシャハバ病院~

シャイフ・マクスードから北へ約30㎞にあるタッルリファトの間にあるクルド赤新月社が運営する2つの難民キャンプと公立病院を訪問しました。

◆バルハダーンキャンプ
約3,000人が暮らすこのキャンプには、アフリーンやアレッポから地震で被災した人々が逃れてきました。
キャンプには保健センターがあり、周辺の村からキャンプ内のこちらの保健センターに運ばれてくる人もいますが、医薬品不足が深刻で、絆創膏さえもない状況でした。
僅かなパンや米、挽き割り小麦は赤新月社から、水はユニセフからそれぞれ僅かながら提供されていますが、深刻な生活物資や水不足に直面しています。
各家庭には電気がないため、住人はクルド赤新月社の事務所がある部屋で携帯電話などを充電(太陽発電)します。

◆サルダムキャンプ
バルハダーンキャンプ同様、アフリーンやアレッポから地震で被災した人たちが住んでいます。
キャンプに避難してくる地震被災者の増加に伴い、テントの増設は続いています。
地震被災者のうち、約40%は地震直後の状況が落ち着いた後にキャンプを出ましたが、
残りの約60%は家の倒壊により今なおキャンプで暮らしています。
バルハダーンキャンプ同様、クルド赤新月社とユニセフ以外からの支援はありません。


◆シャハバ病院

シャハバ地域唯一の公立病院で、病院のキャパシティに対して来院者数も多く、十分に対応できていません。
整形外科、帝王切開、通常の手術が行われる外科部門と、産婦人科、小児科があり、
病院には休みなく稼働しています。毎日200人以上の患者を受け入れています。

農場だった土地に作られたこの病院は、脆弱なインフラと地盤の中で今回の地震被害に遭いました。
多くの壁には亀裂が入り、いくつかの部屋は使用できない状態です。
また、液状化により床から水が漏れ出している部屋もあります。
病院長は、担当行政やクルド赤新月に対し、
「出来る限りの治療を行っているが、医療設備や建物の早急な改善をお願いしたい」と、強く要請しています。
同時に、医薬品の確保や手術後の感染症対策についても、早急な改善が必要であると病院長は話しています。
 

また、シャハバ地域の村や町には保健センターがあり、そのほとんどはクルド赤新月社によって運営されています。
どのセンターも医薬品不足に悩まされており、訪問した際には、包帯すら在庫していませんでした。
救急部門だけが稼働している状況で、救急の場合はシャハバ病院に移送されます。

貧弱な医療設備の中で、十分な治療が行えず、他の地域への移送も複雑な情勢のため簡単ではありません。
近くに病院があったとしても、その病院がどの勢力の支配地域であるかで
受けられる治療が変わってしまう現実を目の当たりにしましたが、医師たちはできる限り人々を助けようと奔走しています。

特にこの地域の生活状況は悪く、電力は5年ほど前から遮断されています。
1日数時間は発電機に頼っていますが、常にディーゼル不足のために動かないことがほとんどです。

シリア北東部では1リットル当たり約70円のディーゼルもここではその10倍の価格で取引されています。食料品の価格も非常に高く、医師でさえも日々の生活をしのぐことで精いっぱいだと話していました。地震発生以前からイスラム国やトルコの侵攻により国内避難民が多い地域でしたが、その彼らが再び地震被害により国内避難民として避難を余儀なくされています。

シリア訪問を終えて~リームからのメッセージ~

シリア情勢はいまだに不穏で不安定であり、アメリカ、ロシア、イラン、トルコなどの勢力がシリアの分割をめぐって争っています。
国際的な合意が何をもたらすのか、人々は常に不安定な状態の中で暮らしを続けています。
政治やゲームのような駆け引きの影響を受けるのは、極限状態の生活を送るシリアの人々です。
それでも彼らはいつも僅かながら期待しながら待っています。
現状からの脱却と自由はすぐ近くまできているだろうと。

残念なことに、クルド赤新月社が属している地域からは入域できないトルコ軍の影響も強いシリア北西部の地域もありました。
私は同じシリア人として、この危機(特に緊急支援)において、国や政治政党や個人の思想は別に考えるべきだと強く思っています。
それを切り離せないのが政治なのだと分かってはいるけれど。

皆それぞれ家族がいて、子どもがいて、大切な人がいる。
それらを守りたいと思うのが大人なはずなのに。
大変な状況は同じなのだから、皆で協力すればいいのに。

この12年の間、シリア人の心にはシリア人同士の分断や差別が鮮明に植え付けられました。
戦前のようなシリアに戻ることは難しいだろうけれど、私は「母なるシリア」がこの震災からも復興して、以前のように少しでも戻ることを心の中では願っています。
だからシリアのためにできることを続けていきたいと思っています。

今回訪問したシャハバ地域は私にとって初めての訪問でした。
生活状況、医療サービス、物価高、緊迫した情勢など、どれも悲惨なものでした。
でも、それと同時にシャハバという地域がすごく好きになりました。

雄大な景色、透き通る空、一面に続くオリーブ畑、私たちは地面の土を手のひらにとって、口づけをする真似を何度もしました。
なんて美しい大地なんだろうと。
いつかここに住みたい、と思うほどでした。

少しずつでも復興が進むことを願い、出来る限りの支援をしていけたらと思っています。
いつも関心を持ってくださる方々、応援してくださる方々に心からお礼を伝えたいです。ありがとうございます。

皆さん、どうか支援が来ないこの地域の人たちをこれからも応援してください。どうぞよろしくお願いします。

シリア 地震被災者支援はこちらからお願いいたします。
https://npojim-net.square.site/page

今回の現地調査は、この緊急支援の協働団体でもある
日本国際ボランティアセンター(JVC)日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)より
多大なご支援を賜りました。

JIM-NETのパートナー団体「クルド赤新月社」への募金を呼びかけてくださり、深く感謝申し上げます。
引き続き、2団体にご協力いただきながら、現地の支援を進めて参ります。

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