ニュース
6月20日「世界難民の日」に寄せて
6月20日は国連が定める #世界難民の日 です。
難民の保護と支援に対する世界的な関心を高め、国連機関やNGOによる活動に理解と支援を深める日とされています。
JIM-NETでは長年続けてきたイラクでの小児がん支援に加え、シリア紛争が勃発した2011年以降にシリア難民の支援を、また2014年からはイラクの国内避難民への支援も継続しています。
今回は「世界難民の日」に寄せて、JIM-NETスタッフのリーム・アッバースからのメッセージをお届けします。彼女は自身も故郷シリアからイラクのクルド自治区へと避難をした難民であると同時に、JIM-NETの難民支援の中心を担っている大切なスタッフの一人です。
(右がリーム)
——
日本の皆さまへ
私がここイラクのクルド自治区で難民となってから既に9年が経ちました。
この数年で、私の人生は大きく変わりました。
シリアからイラクに逃れた当初はアルビル市郊外のバハルカ難民キャンプで暮らし、その後すぐにダラシャクラン難民キャンプに移動させられ日々を過ごしていました。その後キャンプ内で結婚し、アルビル市内へと引越し二人の子どもも生まれました。
避難当初、キャンプでの生活はとても厳しいものでした。
テントでの生活はプライバシーが皆無で、電気もほとんど使えずイラクのうだるような暑さに苛まれていました。
その中でも最も私を苦しめていたのが、シリアにいた頃に抱いていた「看護師になる」という夢を実現できなくなったことでした。
多くの他の難民たちと同じく、私も紛争により教育の機会を断たれてしまいました。
私は全てに対し絶望していましたが、それに少しずつ慣れていっていることに気が付きました。私の姉はいつもこう言っていました「私たちは、家族みんなが無事であることに感謝しなさい。私たちの苦しみは、シリア国内で爆弾に怯えたり、行方不明になってしまった人たちに比べれば大したことないです。一年後、数年後、もしかしたら数十年後になるかもしれないけれど、いつかは全てがよくなります。私たちはこの人生を生き続けなければなりません」と。
私を含め13人の兄弟姉妹たちは今、世界中に散らばって暮らしています。半分はヨーロッパ諸国へと逃れ、残り半分は今もクルド自治区の難民キャンプで暮らしています。
もちろん今日まで、シリアに帰るという夢は叶っていません。
もしかしたら私は、シリア難民の人たちの中でも幸運な方でしょう。クルド自治区へと避難した6ヵ月後にはJIM-NETで働き始めることができました。団体での仕事を通して、私はシリアの同胞たちをイラクで、そしてシリア国内で支援をすることができています。それはとても幸福なことです。
私にチャンスをくれたJIM-NETに、そして日本の皆さんに心から感謝をしています。
残念ながら、シリア難民を取り巻く環境は悪化の一途を辿っています。シリアでもここイラクでも仕事はなく、国際社会からの支援も年々減っています。この状況は人々を、命の危険を冒してでもボートでヨーロッパ諸国を目指す強い動機となっています。彼らはもう失うものが何もないのです。最後に命を賭して、ただ自分の子どもたちのために未来を切り開こうとするのです。
いつもシリアの人々に、そして世界中の難民に寄り添い、支援いただいている皆さまに改めて感謝申し上げます。そして今後も寄り添い続けていただけますと幸いです。ウクライナでの戦争を受け、世界の目がそこに注がれていることは理解しています。
ただ他の地域の人々のこともどうか忘れないでください。
皆さまが健康で平和に日々を過ごせますように。
2022年6月19日
リーム・アッバース
——
JIM-NETはここ最近でも、イラク国内の難民キャンプでは粉ミルクや妊産婦さんに対する支援を、シリア国内の避難民キャンプでは医薬品支援を続けています。
今後も、支援者の皆さまから頂いた気持ちを現地の人々に届けて参ります。