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【チョコ募金】各年のテーマのご紹介
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【2006年】「限りなき義理の愛作戦」
2005年はイラクの宗派対立が激化し、治安は最悪でした。
ヨルダンで難民生活を送っていてJIM-NETのスタッフになったイブラヒムは、故郷のバスラに戻って子どもたちに絵をかいてもらいました。その絵が素晴らしく思いついたのがチョコ募金です。アメリカ軍の攻撃には必ず、名前がついている。人を助ける活動にも名前を付けました。「義理チョコ」を前面に出しました。イラク戦争の責任は日本にもあることを忘れてほしくない。義理=義務という意味を込めてます。
パッケージは、家庭用の印刷機を使いみんなで袋詰めしました。
【2007年①】「チョコ絵本」
童話館出版とコラボし、絵本仕立てのパッケージに。佐藤真紀が、童話館より「戦禍の爪痕」を上梓したこともあり、パッケージの印刷を童話館に出していただき、宣伝広告を挟み込みました。
文章は、あづまちづる、吉田栄作、坂田明、湯川れい子、酒井啓子ら著名人にお願いしました。
【2007年②】「わびちょこ」
注文が殺到し、六花亭のチョコが品切れに、急遽2006年に使用したチョコを使用。
パッケージも途中で亡くなったドゥア・ハッサンの絵を使い、
六花亭のチョコを届けられないというお詫びとドゥアの命を助けられなかったお詫びを込めて、「わびチョコ」としました。
【2008年】「がんの子どもたちだって勉強がしたい」
院内学級の先生が板についてきたイブラヒムの初来日にあわせ、MDGsとイブラヒムの人生を重ね合わせたブックレット「イブラヒムの物語」を作成し、カップリングできるように音楽、体育、英語、数学の教科書仕立てのチョコを作りました。中には問題もあってドリルブックのような感じにしました。
音楽は、安田純平さんの妻で、音楽家のMYUさんが詩を書きプロデュースした楽曲の楽譜を入れました。
【2009年】「私たちが欲しいもの」
①薬、②きれいな水、③足(病院までの交通)、④清潔な病院 といったJIM-NETの支援内容を紹介。
患者だけでなく、ヨルダンに治療に来ているいラフという患者のお父さんが、イラクに帰れなくなった旅費を工面するために絵をかいてもらって、買い取りました。あまりにも下手でした。感染症対策塗り絵を作るのにヨルダンのイラク難民の学校の生徒たちにも手伝ってもらい、一部その絵も使っています。
【2010年】「イラクの歩き方」
モスル、アルビル、バグダッド、バスラの4地域を紹介するガイドブック風のパッケージ。
この年から缶のチョコを取り入れ、缶のデザインはサブリーンが、イラクを旅行するという設定。
「イラクをテロの国といった見方をしてほしくない」という少女の一言がヒントになりました。目のがんのサブリーンが、余命幾年もないとのことだったので何か残るものを作りたいと思い缶のチョコがはじまりました。
【2011年】Stop 鼻血キャンペーン
白血病の場合輸血をきちんと行わないと出血で死に至ることもあるます。
血液型ごとのマニュアル本がはやったこともあり、パッケージはA・B・AB・O型の患者が鼻血を流している絵を使いました。缶の絵は白血病のアーシアと兄のオサマ。間違えて油絵の具を買ったのですが、それが面白い作品になった。しかし、アーシアはそのあと鼻血を流しながら死んでいきました。思い切って鼻血の絵をつかいました。
【2012年】いのちをつなぐチョコレート「ハウラの赤い花」
東日本大震災でチョコ募金の実施は見送られる可能性もあったが、バスラで小児がんを克服したハウラが、「花の絵をかいて日本を元気にしたい」とメッセージをくれ、福島支援にもチョコ募金を使うようにしました。パッケージの中には、JIM-NETが支援してきた子どもたちから日本への励ましのメッセージが書かれてます。
【2013年】イラク戦争から10年「あしたのチョコレート」
原発に頼ったゆがんだ社会構造や、石油資源を搾取するための戦争加担などを痛烈に批判しながらも、「あしたがある」という希望を作っていきたいという願いを込めました。
紙のパッケージは、絵が大好きだった亡くなったアヤ・ハイサムをフューチャー。
【2014年】「絆ぐるぐる」
一年前にシリア難民支援を本格的に開始。東北の被災地からも、「海外からも助けてもらった、恩返しがしたい」と支援物資をシリア難民にいただきました。
缶に使ったのは、バグダッドのファーティマちゃんの絵。母と子の絆、友達の絆、家族の絆、医者と患者の絆を表現しました。
【2015年】いのちの花「フラワーガーデン」
がんの子どもたちに本物の花を書いてもらう企画。しかし、このころ「イスラム国」がクルド地域も襲撃し多くの避難民が街にあふれていました。TVでは、戦場の悲惨な映像を繰り返し流していましたが、春先には、きれいな花が咲き乱れていました。戦争の影響で治療が受けられずに死んでいく子も増えました。バラ(イマーン)と芥子(ハニーン)を書いてくれた2名が死亡。
【2016】いのちの花2「物語のあるチョコレート」
前年チョコ募金が終わるまでに、2名の患者が亡くなったことから、物語をHAPPY ENDに終わらせようと訴えました。「イスラム国」との全員がティーンエージャーの女の子で、シリア難民、国内避難民、ヤジディ、クルド、アラブといったそれぞれ違う立場の女の子が病院で出会うという仮想映画を設定し、映画のチラシのような広報をしました。
【2017年】いのちの花3「ヨーロッパ編」
2015年はヨーロッパに大量の難民が移住しました。その中には、患者やJIM-NETのスタッフもいました。私自身がヨーロッパを歩き彼らにいのちの花を書いてもらい、難民問題を考えました。
【2018年】「Happy choco」
JIM-NET house の活動が始まり、小児がんの啓発活動を内外でやっていこうという取り組みに、SUSUの絵を使いました。子どもたちの絵にも、アニメやゲームのキャラを書く子が増えています。コミックの絵をデザインするのはものすごく難しく、リキテンシュタインを参考にしています。イラクの子どもたちに配ったりするのには、こういった絵は喜ばれますが、日本では、チョコにマスクはやめてほしいという意見が少なからずあり、募金の伸び悩みも。
【2019年】「いのちの花・総集編」
「戦場のタンポポ」
アメリカに攻撃されて、「イスラム国」が逃げるときに放火された病院にひっそり咲いていたタンポポ。たとえタンポポは花が散ってからも、綿毛になって飛んでいく。
そんな力づよい花で締めくくりたいと思いました。
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