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ノーベル平和賞おめでとう
ヤジディ教徒のナディア・ムラッドさんがノーベル平和賞を受賞したというニュースが入る。
ナディアさんは、ラーミヤ・バシャールとともにサハロフ賞を受賞し、2016年9月16日に人身取引に関する国連親善大使に就任した。
YAZDA は、米国のヤジディ教徒らが中心に立ち上げたNGOで、人道支援とともにアドボカシー活動を行っており、ナディアさんはスポークス・ウーマンとしても活動してきた。https://www.yazda.org/
JIM-NETは、2014年8月にイスラム国(以下IS)が、シンジャールを占拠した当初から緊急救援を続けてきた。
きっかけは、TVでイラクの国会が中継され、ヤジディ教徒の議員であるビアーン・ダーヒール氏が、泣きながらシンジャール山でISに包囲され虐殺を待つヤジディ教徒の救出を訴えたのを見たことだ。
その後米軍が空爆し、制空権を取りかえし、イラク軍のヘリが救出に向かう。
ビアーン氏もヘリに搭乗していたが、山につくと助けてほしい避難民がヘリにぶら下がり、バランスを崩して墜落。
パイロットは死亡し、ビアーン氏も大けがを負った。
2014年10月9日ビアーン氏にインタビュー。「戦争が私を強くした」
6月にバシーカという町がISに襲撃される直前に、ドホークに避難してきたハナーンさんは、
人の好さげなおばさんで、古着を集めて、新たに避難してきた人たちに配っていた。
アルビルに拠点を置くJIM-NETは、いつしかドホークの支援活動を彼女に依頼するようになった。
2015年になると、ISに連れ去られた人たちが、クルド自治区へ逃げてくるケースがちらほら出てきた。クルド自治政府も特別な予算を立てて、ISとの交渉を行っていたのだ。ハナーンさんのところには、逃げてきた少女たちが相談にきた。
妊娠しているかもしれないので検査をしてほしいとか、性的感染症の検査等である。JIM-NETは30人余りの少女や女性たちの医療支援を行った。
クルド政府や、その他のNGOも支援活動を行っていたが、私たちの活動はあくまでもハナーンさんを頼って相談に来た女性であり、他団体に回すことはしなかった。
血液検査を受ける生存者
ISから戻ってきた12歳の少女アマルさんが描いてくれた絵は「家族」。いまだに両親は行方不明。
支援してくれた女性たちが語ってくれた情報は、NGOヒューマンライツ・ナウにまとめてもらい国連人権委員会に提出した。
国連人権委員会
2015年の9月からは、ハナーンさんがドイツに移住したため、その後の支援はYAZDAを介してシンジャールとドホークのモバイル・クリニックを行った。
シンジャール山で避難生活を送る人たち。2016年1月、2017年1月に訪問
2017年1月シンジャールの町を視察。町は激しく破壊されており、彼らが戻るのは難しい。
ナディアさんやラーミヤさんを招聘し日本でのスピーキングツアーを行うというプランもあったが、当時から彼女たちは多忙に動き回っていたので日程が合わなかった。
ナディアさんがノーベル平和賞を受賞したと聞き、とてもうれしかった。
彼女らの行動は、JIM-NETで働いていたヤジディ教徒のスタッフにとても勇気を与えるものであった。
ヤジディ教徒は、自分たちが歴史上74回の虐殺を体験し、それはまたいつ襲ってくるかわからないという恐怖の中で生きている。国際社会が自分たちを見てくれていることは少なくとも自分たちが滅びることはないという担保なのかもしれない。
ISの性暴力だけを取り上げても問題は解決しない。
イラク戦争の結果が生み出した米兵によるイラクに対するレイプ。そして政治的な空白、差別的な復興政策により追い詰められたスンニ派イスラムコミュニティが、テロリストに活動の場所を与えてしまった。
イラクを破綻国家にしてしまった国際社会の責任である。
イラク戦争から15年。
ナディアさんは、イラク人であること。
イラク人がノーベル平和賞を受賞したことをあらためて知ってほしい。
(佐藤)