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世界難民の日に寄せて その1ブラジル編
World refugee day 6月20日は「世界難民の日」です。
4年に一度のサッカーワールドカップと重なるこの時期にJIM-NETでは、「中東の難民とW杯」と題した展示を聖心グローバルプラザで開催中です。
ワールドカップ出場国には様々な歴史があり、難民という言葉とは無縁ではありません。
私たちがかかわってきた難民たちと関係のある国でワールドカップ出場国をピックアップしてみました。
日本の難民政策と比べてみましょう。
2003年のイラク戦争を機にJIM-NETを立ち上げてから、ヨルダンとイラクの国境にできた難民たちの支援を続けてきました。驚いたのは、戦争前から国連やNGOがヨルダンに難民キャンプを作って準備していたにもかかわらず、難民はほとんど出てきませんでした。
というのも、ヨルダンが国境を閉ざしてしまい、彼らは緩衝地帯、いわゆるノーマンズランドで立ち往生することになったのです。
その大半は、パレスチナ人とイラン難民でした。
パレスチナ人は1948年のイスラエルの建国時にハイファにいた人たちがヨルダンに避難した後、イラク(当時は王国)に迎え入れられた人たち。イラクは対イスラエル強行政策をとり、パレスチナ難民を優遇したために、サダム政権が崩壊すると迫害の対象になりました。
一方1979年のイラン革命が起きると、ケルマンシャーというところに住んでいたクルド人の少数民族カカイ教徒たちが宗教上の理由から迫害の対象とされ、アンバール州の難民キャンプで暮らしていましたが、サダム政権が崩壊するとイランの息のかかった勢力が力を持ち難民キャンプが襲撃されたために国境に集まってきたのです。
さて、イラク戦争を支持した日本の難民政策は、どのようなものでしょうか?
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川口順子外相は2003年1月24日午前の衆院予算委員会で、米軍のイラク攻撃を想定した日本の対応について「難民の支援や周辺国支援などの選択肢を念頭に議論している」と述べた。外相は「日本は世界第2の経済大国として地域の秩序づくりに責任を持つことなどを考慮して対応を考えたい」と述べ、難民支援を含む復興支援に積極的にかかわる考えを明らかにした。[毎日新聞1月24日]
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イラク難民支援の政府専用機、アンマンに到着
イラク難民支援のためテント160張を積んだ政府専用機2機が、31日午前10時すぎ(現地時間)、アンマン国際空港に到着した。 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)アンマン事務所長のステン・ブロニー氏は、輸送責任者である渡辺聖夫・一等空佐や記者団に「非常に大きな日本の貢献を象徴するものだ」と感謝を表明した。 ヨルダン東部に設けられた難民キャンプで活動する援助団体などの関係者の間では「テントはヨルダンやトルコで買った方が安い。なぜ日本から高い輸送費をかけて運ぶのか」という疑問の声も出ている。 空港でテント引き渡しに立ち会った小畑紘一・駐ヨルダン大使は「たとえ経済的に高くついたとしても、日本の難民支援に対する姿勢を示すことも考えねばならない」と話した。 キャンプには現在、イラク難民はおらず、テントの大部分はアンマン近郊の倉庫に保管されるという。 〔朝日新聞3月31日〕
これがその時の写真でのちに国会で輸送費だけで1億円を費やしたことが判明し野党から批判の声が上がりました。
さてこれらの難民ですが、条約難民として受け入れたのが以下の国です。
黄色く塗ってあるのが今回のワールドカップ出場国。
日本はゼロです。
今日はブラジルに関して取り上げてみたいと思います。
ブラジルが難民条約に批准したのは1997年。ヨルダンは難民条約に批准しておらず、「すでにパレスチナ難民を受け入れておりこれ以上は、他の国が責任を持つべきだ」とし、特例としてヨルダン人の配偶者とともに逃れてきたパレスチナに限り386人を受け入れました。
そこで手を挙げたのがブラジルです。
2007年には、難民キャンプから約120人のパレスチナ人を条約難民として第三国定住させました。
2016年のリオ・オリンピックでは、難民選手団が結成され話題になりましたが、
シリア難民受け入れでもブラジルは注目されています。
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ブラジルのルセフ大統領は6日までに「(難民の)入国を妨害したせいで子供が死んでいる」と欧州諸国を非難した。ブラジルは昨年、シリアを中心に2320人の難民を受け入れた。「南米の国は世界中の人を歓迎している」と強調し、受け入れに積極的な姿勢を示した〔日経2015年9月7日〕
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このようにもともと移民の国であるブラジルは共生社会なのでしょう。
2003年にキャンプで出会った青年だったザエッドさん
独身用のテントにいて猫を飼っていました。
FBで探し出すと、ポルトガル語でチャットしてくれました。
今は子ども達に囲まれて幸せに暮らしています。
日本とブラジル
ブラジルには日系人が191万人(日系人の定義が難しく、厳密な数字は不明)
ブラジルの総人口の約0.6%といわれています。
かつて多くの日本人が合法的にブラジルへ移住したのと、2015年に非合法で多くの難民たちがヨーロッパに移住していった様子は、とても近いものがあります。
群馬県の大泉町。約4万人の人口に対して、およそ15%が外国人。その中でも75%程度がブラジル・ペルーといった南米からの移住者が占め、日本の大手企業の工場の貴重な労働力として汗を流してきた。1989年に日本の出入国管理法が改正され、3世までの日系ブラジル人とその家族を無制限に受入ることを始めると、日本での高収入に着目した、もしくはブラジルで職を失った多数のブラジル人が日本へ出稼ぎにくるようになったことに端をはっしています。
ちなみに日本には35万人の日系ブラジル人がいるとのこと。
日系ブラジル人コミュニティでのサカベコづくり。
日系ブラジル人として日本でアンプティサッカーを広めている
エンヒッキ・松茂良さんとサカベコ
難民を受け入れるということは、多文化共生の土壌がないと、かえって差別問題を引き起こしてしまいます。サッカー大国ブラジルからまなぶことはサッカーだけではなさそうです。
6月20日世界難民の日
2000年12月4日、国連総会で、毎年6月20日を 「世界難民の日」(World Refugee Day)とする旨が決議されました。この日は、もともとOAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念する「アフリカ難民の日」(Africa Refugee Day)でしたが、改めて、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCRをはじめとする国連機関やNGO(非政府組織)による活動に理解と支援を深める日にするため、制定されました。