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イラク戦争の15年を語る その③イラクは何時も戦争だった。

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ハッジ・マフムードはセントラル小児教育病院で掃除職員の管理をしている。

ーイラク戦争のことを教えてください。

2003年、アメリカがサダム・フセインに48時間以内に出ていけといった。それで、攻撃が始まると思い、郊外に避難した。けがをした患者が運ばれてきても治療がきちんとできず、死んでいく。でも墓に埋葬しに行けないから、病院の庭に埋めたんだ。瓶に名前を書いた紙をいれて地面にさして墓標にした。サダム政権が崩壊した4月9日以降は、(イラク人による)略奪がひどかった。幸い、この病院(当時はサダム小児教育病院と呼ばれていた)は、略奪されないように、ガードたちが守ったから難を逃れた。

 

かつて庭には遺体が埋めれれていた。今は、がんの子どもたちが木を植えたり花を植えて希望をつなぐ。

 1985年から保健省で病院の事務をしているが、1988年、イラン・イラク戦争に徴兵された。スレイマニアで戦っていた時にロケット弾が飛んできて左手を失った。イランとの戦争が始まった年に父が戦死し、最後の年に私がけがをした。
サダム・フセインの時代は、病院に行けば手厚く扱ってくれた。義手も作ってくれたし、調整もしてくれた。しかし、今は、義手が壊れても誰も直してくれない。
 2004年、弟が逮捕された。マハディ軍だと疑われ逮捕された。マハディ軍には関係なかったが、逮捕されたまま6年間牢屋にいた。最初は、アメリカ軍だったが、その後はイラク政府に引き渡された。
捕まった時は、まだ20歳そこそこだったから、人生を台無しにした。拷問を受けたので、今でも時々自分をコントロールできなくなる時がある。
おじも米軍の攻撃で亡くなった。
私の娘たちは、アメリカ兵を見ていつも怖がっていた。
ブッシュの父も子も、オバマもトランプも何もしてくれないどころがイラクをめちゃくちゃにしたね。
サウジは違う。サッカースタジアムをプレゼントしてくれるというじゃないか!(笑)
(サウジがイラクとの関係改善のために、10万人規模のスタジアムをイラクに寄付するという)

バグダッド病院サッカートーナメントで優勝した
ハッジ・マフムードは、この病院のサッカー部の顧問を務める。バグダッドの各病院にサッカーチームがあり、3年前から始まったトーナメントで優勝、昨年は2位と好成績で、間もなく今年の試合があるという。

ー最後に戦争から学んだことは?
イラクは、一つになるべき。心と心が繋がることが大事。テロとか、戦争はもうたくさんなんです。

病院の改修はなかなか進まない。掃除婦を十分に雇えないから、病院は不衛生で感染症から患者を守れない。15年経っても薬は不足したままだ。

それでも、この日治療が完了したというジファールさん11歳は、「日本のみなさん、支援してくださりありがとう」。お父さんは、TV局で務めている。「是非日本の支援を番組にしたい」とのこと。

これもチョコ募金のお陰。支援くださっている皆様ありがとうございます。

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