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福島支援 大熊の怒り
大熊町ふるさと応援隊の代表渡部千恵子さんにお話をうかがいました。
Q:震災の時は、どうされていたのでしょうか?
A: 私は保育士で大熊町の職員でした。児童館で働いており、町役場で事務の作業をして、児童館にもどろうという時に地震が起きました。体が支えてられない程の揺れでしたね。
児童館につくと子ども達が庭に避難していましたので、親御さんに引き渡す作業は18時くらいに無事に終わり、児童館が避難場所にもなっていましたので訪れた近所のお年寄りなどに毛布を配ったりしました。
夜になって、原発が危ないかもしれないということになり、集団でいたほうがいいだろうということで、中学校に避難しましたが、私は大熊町の職員ですので、役場でおにぎりを作ったり、明日の炊き出しの準備をして夜を明かしましたが、次の日の早朝には避難命令が出たのです。田村市が受け入れるということになりましたが、バスが何十台もとまっていましたが運転手もどこへ行っていいかわからない。聞いていた小学校や中学はどこへ行っても満員で国道288線沿いに段ボールで避難所って書いてあるのを見つけてようやく落ち着きました。本当に着の身着のままでした。4月には会津に大熊町の機能が移されるというので、会津で一年を過ごし、定年を迎えました。
Q:何が一番大変でしたか?
A:大変なことという記憶はないんです。やらなければならないことがたくさんあり、みんな無我夢中でした。
Q:お年寄りは、ふるさとに戻りたいという思いが強いと思いますが、たとえ、放射能が除染されたとしても、町は除染業者とか知らない人もたくさん入り、中間貯蔵施設とかができると外観も変わっていくでしょう。
A: 私が中学の頃から原発の建設作業が始まりました。あの頃も、作業員が外からやってきて、飲み屋街ができたり、パチンコ屋ができたりしましたが、原発ができてある程度表面上豊かになっていくという(ポジティブな)感じでした。実際に事故が起きると本当に故郷をなくしてしまったという気がしています。
東京の専門学校に通っていた時は、自分の自己紹介の時に東洋一、世界で3番目の原子力発電所の町からきました!って自己紹介していました。ちょうど原発が稼働する頃です。
私は、ほこりに思ってました。安全、安心、クリーンなエネルギーができるって。
そしてやっぱり出稼ぎの町なんですね。私の父なんかも甥っ子の場所へ出稼ぎに行ってました。親戚だったからか、厳しいという感じはなかったけど、大変な思いで出稼ぎに行かれている家庭もあったと思います。そんな街が、出稼ぎに行かなくてもよくなり目に見えて豊かになっていきました。よそから来ている作業員の人も住みやすいところだって。
町は福祉に力を入れていた。離婚して母子家庭になったら大熊に移れといわれてたぐらいです。住宅団地もたくさんできてたんでよそ者を排除するというのはなかったですね。
しかし、今から思えば、砂上の楼閣って感じですね。
Q:これからの日本は?
A: やっぱり原発はなくても、再稼働しなくても電気まかなえる。
ごみの捨て場もまだ決まっていない、ごみは増える一方ですし。我慢した生活をしていい。TV消すのにリモコンなんかつかわなくてもいいですし、原発を再稼働して、万が一こういう事故があったら根こそぎ崩れてしまうことをわかるべきですね。
原発を稼働することで利益を得ている人は、あれだけの反対運動をしているのに、何で耳を傾けられないのかな。
知識がなかったからみんな信じちゃって、こうなってしまったからには見直さなければいけない。
Q:東京の責任も大きいですね?
A:オリンピックのおかげで資材が上がったり、作る人がいなくなるとか、なんでそこまでしてオリンピックなんかねというのはありますね、先にやることがあるんじゃないかなと東北の人は思っているのではないかな。
Q:これからできること
A:知ってもらうことですね。自分の目で見てもらうこと。いまだに人が住めないと思っていますが、もう自宅に帰るときは防護服なんて着ないです。
私の家は中間保管地域になるので、除染どころではないですが、そうじゃないところは除染してほしい。
帰る、帰らないは、別として、きれいな街に戻してほしいという思いはあります。
仮設から復興住宅に移ると、いろんな地域から来た人がいて人間関係が疎遠になる。
戸別訪問して話し相手になるとかそういう活動が必要です。しかし一方で、避難先で暮らしていくと決心した人は、土地の人とうまくやっていきたいから避難していることを隠している人もいます。
特にいわきは、病院はこんでいる、道はこんでいる、学校はぎゅうぎゅうということで一部の避難者は嫌がらせを受けている人もいます。いわきも津波の被害受けてますが、賠償金はない。でも避難してきた人は東電の賠償金をもらっているからという気持ちもわかります。厳しい現実ですね。
渡部さんが書いてくれたのは、怒りのサカベコ
サッカーに向かっていく勢いと、そしてこの現状に対する怒りを表現してくださいました。